神宮巡礼の前に:榊原温泉 湯ごりで穢れを洗い流す 榊原温泉の魅力と歴史
はじまりは「榊が原」
古くは、「七栗上村(ななくりかみむら)」と呼ばれ、この地には多くの「榊」が自生していました。約1500年前、継体天皇皇女である「ササゲヒメ」が斎王になる際、この地に自生する榊を伊勢神宮に献上し、使われるようになったことから「榊が原」と呼ばれ、地名が「榊原」となったと言われています。また、戦国武将・仁木義長の五代後の利長がこの地に住み、「榊原」を名乗ったことが榊原氏の起源とされています。ここ榊原温泉は、全国の榊原さんのふる里でもあります。
伝統の風習「湯ごり」
「湯ごり」とは、神宮参拝前のお清めとして行われる風習で、古くは伊勢神宮ができた頃から存在していました。伊勢神宮が都から距離を置くために、皇女が斎王となり神宮を祀るようになった頃、京から伊勢へ向かう通過点である「榊原温泉」が「湯ごり」の地として知られ、正式な参拝の前に榊原温泉で身を清めてから伊勢に向かうのが一般的となりました。地元では「宮の湯」として親しまれています。
神宮への感謝を込めた「献湯祭」
榊原温泉は伊勢神宮と深い縁で結ばれており、その感謝の気持ちを込めて、毎年6月1週目の土曜日に「献湯祭」が開催されています。この祭りでは、榊原温泉関係者や射山神社、自治会関係者が集まり、外宮や内宮を参拝し、内宮神楽殿で温泉を奉納(献湯)して神宮を正式参拝します。射山神社の協力により、当日は氏子でない方も一日氏子として特別参加することができます。
榊原の湯治場と温泉大明神
榊原温泉は、天正16年(1588年)に日本全国で湯治が一大ブームとなった時期に大きな変化を遂げました。湯治場が整備され、湯の神を祀る「射山神社」が一角に加わり、神社境内から湧く「宮の湯」を使用した湯治場が100室から成る大規模なものとして誕生しました。この湯治場はおかげ参りの旅人たちで賑わい、射山神社も「温泉大明神」として親しまれました。湯治場の中心部にある射山神社は、湯治場造成の際に貝石山から現在の地に移され、祭神は温泉大明神と呼ばれる大己貴命と少彦名命です。
清少納言も賞賛した「湯治場」
榊原温泉一帯は、かの清少納言が「枕草子」で『湯はななくりの湯 有馬の湯 玉造の湯』と賞賛したことでも知られています。当時は特に恋の病を癒やす「恋の湯治場」として、都で温泉の代名詞になっていたようです。榊原温泉に関する和歌も鎌倉時代から室町時代にかけて詠まれ、その歴史と魅力が多くの人に愛されてきました。
ななくりの湯の諸説
現在、枕草子に登場する「ななくりの湯」は主に榊原温泉を指すと考えられています。ただし、別所温泉説や湯ノ峰温泉説も存在します。枕草子の一文だけではっきりしないため、鎌倉時代の夫木和歌抄に載っている歌に「一志の〜ななくりの湯」とあることから、一志郡に位置する榊原温泉が古くから「ななくりの湯」と呼ばれていたことが裏付けられます。
また、榊原温泉は神宮と深い縁があり、湯治の神として尊重されました。他の有名な温泉地である玉造温泉や有馬温泉も同様に天皇家との関わりが深く、温泉信仰に基づく伝説が残っています。湯治場の発展や神聖な湯の存在は、日本の温泉文化の重要な一翼を担っています。
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