伊勢神宮の御料酒「白鷹」:100年の歴史と醸造の真髄
白鷹の起源と歴史
伊勢神宮の御料酒として100年以上の歴史を誇る「白鷹」は、江戸時代幕末の文久2年(1862年)に初代辰馬悦蔵氏によって創業されました。創業当初から「品質第一」をモットーに掲げ、一流の酒造りを追求してきました。鷹は百鳥の王であり、特に白い鷹は千年に一度現れる霊鳥とされ、その王者の風格を表す「鷹」と清酒の清らかさを象徴する「白」を組み合わせて、「白鷹」という名前が生まれました。
伝統技法「生酛造り」の精髄
「白鷹」の酒造りには伝統的技法である「生酛造り」が用いられています。これは、日本酒造りの基本中の基本であり、人工的なものを一切加えずに自然の微生物の働きだけを利用して酒を醸す方法です。江戸時代に発見され、“灘の生一本”の生みの親とされる西宮の「宮水」と、辰馬悦蔵氏が支援して生まれた酒米「山田錦」が使用されています。これにより、「白鷹」は灘の特色である“男酒”と呼ばれる旨味重視のお酒を生み出しています。
伊勢神宮御料酒への選ばれた理由
大正13年(1924年)から伊勢神宮の御料酒として選ばれている「白鷹」。その経緯ははっきりしておらず、大正4年(1915年)に行われた大正天皇即位の際、全国数千ある酒蔵から選ばれた5銘柄の一つであることが分かっています。しかし、なぜ「白鷹」が特に指名されたのか、その理由は不明瞭です。社内でも詳細な記録が残っておらず、伊勢神宮からの指名については謎に包まれています。
苦労と努力の結晶:伊勢神宮への奉献
伊勢神宮への奉献には多くの苦労と努力が伴っています。大正時代には交通手段が未発達であり、大きな酒樽を西宮から伊勢まで運ぶのは非常に困難でした。それでも社員自らが酒を運び、戦中や戦後の物資が不足していた時代でも、欠かすことなく奉献が続けられました。阪神淡路大震災時においても、被災しながらも伊勢神宮への奉献は継続されました。今では、一升瓶に詰めて専用ラベルを貼り、車で数回に分けて伊勢神宮に運ばれています。
理想の酒造りに欠かせない「宮水」
「宮水」は、西宮と魚崎で酒造りをしていた「櫻正宗」の山邑太左衛門氏が発見した水源であり、灘の酒造りには不可欠な存在となりました。カルシウムやマグネシウムを多く含み、有害な鉄分が少ない硬水であり、清酒酵母の栄養分となります。その結果、灘の酒は辛口豊醇な“男酒”として知られています。
白鷹は、伊勢神宮の御料酒としての誇りと歴史を背負いながら、伝統の技法と特別な水源を通じて、現代にもその美味を提供し続けています。